【わたしの夢】川辺 笑さん「すべてのこども・若者が地域や環境に左右されず豊かな人生を描ける社会へ」


どのような活動をしていますか?
海部郡と徳島市の二拠点で『居場所事業』を行っています。
海部郡では週三回の対面居場所に加えて、来ることが難しいこどもたちには訪問支援も。保護者の相談対応や、就労に向けたサポートなど、社会に参画していけるように伴走しています。
徳島市にある拠点では、学生チームと協力して、思春期のこどもたちが安心して人と出会い、関わり合う事ができる場所をつくっています。
あなたの夢は?
私は、日本のすべてのこども・若者が、自分らしく人生を描いて、歩んでいく社会になってほしい、と思い活動しています。
生まれた地域や育った環境の影響で人生が左右されたり、諦めるしかない世の中をなくしたい。
むしろ、どんな子でも豊かな人生を描いていける社会になってほしいと思っています。
夢をもったきっかけは?
大きく3つの転機がありました。
まず、私自身が徳島県の牟岐町という小さな町で育ちました。
小さなコミュニティの中で、思春期の頃に生きづらさを感じた経験があるのですが、
その時期、相談できるのは親か先生だけ。
でも、なかなか本音で話せず、悩んでいた時、
ちょうどその頃に知人が自ら命を絶ってしまったんです。
その出来事をきっかけに、「人に寄り添う仕事がしたい」「折れない心を持つ子を育てたい」と
思い、教師を目指しました。
関東にある大学の教育学部に進学して、
学習支援のボランティアを始めたことで、日本の教育格差を目の当たりにしました。
家庭環境や虐待、不登校、貧困など、
複雑な課題を抱えたこどもたちに出会いました。
10歳の男の子が
「生きている意味あるんですか?僕にはやりたいこともない。中学まででいい」
と話したことが、強く心に残っています。
家と学校だけでこどもを育てるのではなく、
地域にも支える仕組みが必要だと感じました。
徳島に戻ってからも、こうした課題が都市部だけでなく
地方にもあることを実感し、地元である海部郡から活動をスタートさせました。
不安や苦労したことは?
活動を始めたのは大学2年生、まだ20歳の頃でした。
関東と徳島を行き来しながら、「これを仕事にしていくべきか」と迷いもありましたが、
今は覚悟を決めて進んでいます。
今の悩みは、継続的にこの活動を続けていくための資金確保です。
現在は寄付金型のモデルなので、少しずつ応援の輪を広げながら、
こどもたちも仲間も安心して過ごせる環境をつくり続けたいです。
徳島で頑張っていてよかったと思うこと
経営者の方々や地域の方が、しっかり向き合ってくださる文化があります。あたたかくて、応援してくれる人が本当に多いです。
大学生の頃、東京の学生起業コミュニティに入って一年間修行していた時期がありました。
もちろん東京の良さもあるんですが、
徳島に帰ってきて感じたことは、頑張る時には背中を押してくれるし、そうじゃない時には話を聞いてくれる人のあたたかさに支えられているということです。
都会の方がチャンスは多いと思っていたし、焦りもありました。
でも徳島で活動したからこそ、地に足をつけて取り組むことができています。
こどもたちへの想い、接し方について
自分の将来は自分で選んで決めていい― 幸せの形は人それぞれ。
だからこそ、こどもたちには前向きに自分の未来を考えて、自由に選んでいってほしいです。「どうせ自分なんて」「もう大人になりたくない」という声も聞きますが、その考えを少しずつ変えていきたい。
私たちの団体『うみのこてらす』では、
〝声なきこえを聴き、ともに今を・明日を・未来をてらす〟という理念を大切にしています。
声に出せない想いまで聴くこと。そして〝今・明日・未来〟どの時間軸にも寄り添うこと。
今がしんどい子に「将来のために」とだけ言っても届かない。
今の気持ちをまず受け止めることが一番大切だと思っています。
その上で、5年、10年先のその子の人生に必要な力を、一緒に〝共に〟考えていく。この姿勢を大事にしています。
読者へメッセージ
私は、学生起業でこの活動を始めました。
最初から法人化を目指していたわけではなく、「目の前でできることがあるかも」と思って、3三年のボランティア活動をたくさんの方に支えていただきスタートしました。
一歩踏み出してみれば、その先にまた新しい景色が広がります。
興味のあることは、小さく始めてみるのもいいと思います
インタビュー動画はこちら
※この記事はフリーマガジン「AWAP 2025年号」に掲載された内容をWEB用に再構成したものです。
取材は、2024年11月23日(土)に開催された公開収録イベント
「夢語りシンポジウム」にて実施されました。