代表メッセージ

一般社団法人AWAPの浅野沙織と申します。
これを読んでくれている方の中には、徳島の方も徳島以外の方もいらっしゃると思いますが



わたしも20代のころはずっとそう思っていました。
ですが、現在わたしはそれらをすべて覆して
ここ、徳島で好きなことを仕事にして、全力で人生を楽しんでいます。
なぜ、たった数年でそんな風に人生や価値観が一変したのか?
きっかけとなったのは、ある恩人との出会いでした。
たったひとつのきっかけで人生が変わる
そんな経験をしたわたしが、
以前のわたしと同じように、徳島のことや自分の人生を諦めてしまった若者たちにも「ほんの小さなきっかけで人生は何百倍も楽しくなる」ということを伝えたくて始めたのが、『フリーマガジンAWAP』です。
徳島で夢を追う若者の情報を伝えて「わたしにもできるかも?」と一歩踏み出すきっかけをつくりたい

わたしたちが運営する『フリーマガジンAWAP』や『AWAP WEB』では、徳島で夢を追いかけたり自分の好きなことを仕事にしている若者の情報をメインコンテンツとしています。

「どうせ徳島やし」。
確かにそう思わざるを得ない部分もあるかもしれませんが、ただの先入観である場合も多いと考えています。
すでに徳島で好きなことをして人生を楽しんでいる若者の事例を知れば
「こんな人がいるんだ、こんなやり方もあるんだ、だったらわたしにもできるかもしれない」
と、ネガティブな先入観を払拭することができるのではないでしょうか?


徳島県の若者人口は、2000年から2024年の24年間で、約12万人から約6万人へと約半減しており、2023年対前年20代人口社会増減は全国ワースト5位でした。
なぜ若者は徳島から離れていってしまうのか?
様々な要因がありますが、「やりたい仕事がない」というのが大きい要因となっているようです。
しかし、本当に徳島には「若者のやりたい仕事がない」のでしょうか?
もちろん、徳島ではできない仕事、職種はあります。ですが、できないと思っていた仕事も、
できないと思い込んでいただけで、実は徳島でもできる
というケースもたくさんあると思います。
わたしたちはこれまで、徳島で夢を追う若者、徳島でやりたい仕事をしている若者とたくさん出会ってきました。
だからこそ、AWAPを通してそういった若者の情報に触れてもらい「できない」という思い込みを払拭し、一歩踏み出してほしいと考えています。
「どうせ徳島やし」を覆すには情報発信だけでは足りない
このように、フリーマガジンでの情報発信を通して「どうせ徳島やし」を覆したいと思って活動をしているわたしたちAWAPですが
活動をしていく中で、情報を届けるだけでは「どうせ徳島やし」を覆すためのパワーが足りないのではないか、と思うようになりました。
そう強く感じたのは、AWAP学生クリエイターズメンバーのある言葉を聞いた時です。

これを聞いた時、まさに彼女のような若者をもっともっと増やしたい、と思いました。
彼女の考えを変えた要因はなんだったのでしょうか?

それは、AWAPを制作する中で関わってきたわたしたち編集部や協力してくださる方々、そしてAWAPを通して取材をした
「徳島で、徳島のために活動する大人」との出会い
ではないかと考えました。
若者が大人と関われる場所は少ない
学生が日常生活の中で大人と関われる場所は、家族や先生、バイト先etc…と、かなり限られています。
そんな環境だと、「どうせ徳島やし」という先入観はもちろん、自分の目指す職業のこと、将来のこと、社会のことetc…
学生の生活圏の中だけでは、どうしても視野が狭く偏りがちになってしまうのではないでしょうか?
大人との出逢いを通してそれらを覆して、視野を広げ新しい知識を得て、価値観をアップデートすることは、学生にとって大きな意味を持つと思います。


大人側も「学生とじっくり話すこと」にはメリットがたくさん!
- 採用や商品開発の市場調査
- 学生のリアルな実情・考え方を知って価値観をアップデートできる
- 若手人材育成のヒントを得られる
- インターンや採用につながる可能性
「徳島で夢を追う」と聞くと、起業などがイメージされるかもしれませんが、そういう層はごく一部。
「会社員」として「徳島で楽しい人生を送る」には、県内企業、徳島にいる大人たちの理解や協力が必要不可欠です。
躁鬱病、自殺未遂…人生を諦めていた20代
わたしは、今でこそ自分のやりたいことを仕事にして、全力で人生を楽しんでいる自負がありますが、20代のころは現在からは想像もできないようなどん底の人生を味わっていました。
20歳の頃から、双極性障害を患い、精神科へ通院、入退院を繰り返しており、自殺未遂を繰り返し、死の淵を彷徨ってICU に数日間入院したこともありました。
「どうせ徳島やし」どころか、どうせ自分みたいに重度の精神疾患を患って、まともに生活もできないような人間が、楽しい人生なんか送れるわけがないと思っていました。
そんな現実から目を逸らしたくて自殺未遂をしても、結局死ぬのも怖くて、未遂で終わって…という繰り返しでした。
就職しても、1つの会社で長く勤めることができず、短期間でやめてしまうことがほとんど。デザイン関係の仕事をしていたこともあって、どこかに勤務するのはやめて、フリーランスでデザインの仕事をしようと、2015年に独立しました。
闘病を続けながら、少しずつデザインの仕事をいただいてこなしている中で、わたしの人生を一変させる出会いがありました。

恩人との出会いをきっかけに起業し、躁鬱病は寛解
フリーランス時代、とあるデザイン事務所から、外注でデザインのお仕事をいただいていました。お仕事をいただくだけではなく、そこの社長からはデザインに関する様々ことを教えていただいて、とてもお世話になっていました。
その社長から
俺はもう東京で事業やるから、お前がこの事務所の社長やるか?
という提案をいただきました。
その提案をいただいた時、躁うつ病の「躁状態」いわゆる「ハイ」な状態だったことから、「やります!」と即答し、そのデザイン事務所を事業承継のような形で引き継ぐことになりました。
顧客はもちろん従業員もいる状態で引き継いだので、プレッシャーは重く、引き継いだばかりの時は、毎日安定剤の点滴を打ちながら仕事をしていました。
「とにかくやらないといけない、逃げることはできない」
その一心でがむしゃらに仕事をしているうちに、いつの間にか通院回数も徐々に減っていき、向精神薬を飲まなくても平気になり、いわゆる「寛解」という状態まで症状が回復しました。
※精神疾患では、通院や投薬が必要なくなった状態を「完治」ではなく「寛解」と呼ぶそうです。

起業してからは大変なこともたくさんあって、「しんどさ」でいうと起業前とは比べ物にならないくらいしんどいと思います。
でも、楽しさが圧倒的に勝ってしまう。
しんどいし、やめたいと思うこともあるけど、それよりも楽しさが勝るので、もう10年も続けてこられているんだと思います。
どうせ自分なんて楽しい人生なんか送れないと思っていた頃からすると
人生が180度変わりました。
もちろん、わたしの場合はとても運がよかったし、大きなきっかけをもらったからこそのことではあるのですが
たったひとつのきっかけで人生が大きく変わった
という経験をして、
同じように、だれかの人生をもっと楽しくするきっかけがつくりたい
そう思って7年前、2018年1月にAWAPをスタートさせました。
